「長嶋ジャパン」

長嶋ジャパン」。何かテレビ・新聞などマスコミは「〜〜ジャパン」とか「〜〜巨人」「〜〜阪神」とか、監督の名前をチームの前につけて呼ぶことが好きなようで。俺はあまり好きじゃないのですが。あと、落合監督率いる中日を「オレ竜(流)」とか呼ぶのもどうかと。オレ流じゃない監督なんているのか?外からの意見をまとめるだけの監督っているのか?オレ流じゃなきゃ監督つとまらんだろ。

で、「長嶋ジャパン」。長嶋不在でも「長嶋ジャパン」。アテネまでには帰ってこられるのかな?もし、本番に復帰できなくても、戦術的には全然問題ないと思いますよ。あれだけの選手たちなら、試合の中で自分たちで考えて何とかできるはずでしょうから。不謹慎ですが、「日本で見ている長嶋サンのために」と選手が奮起するのにも期待しちゃっている部分もありますし。まあ確かに長嶋監督が下した采配なら、変に安心してプレーできるというプラスアルファが付くけどね。

じゃあ、なぜ「長嶋ジャパン」である必要があるのか。
全てプロのトップ選手を集めた時点でそれをまとめられる人ってのにも限りがある。別に今さら技術指導をする必要もないし、強いカリスマ性でチームをまとめ引っ張っていくことを考えると確かに長嶋以外にいないかも。他には星野?、原?、そんなもんか?
でも一方でこんな考えも起こってしまう。すべてプロの選手で固めた初めてのチームということで、協会側もいろいろ考えた(つもり)結果、万が一負けた時、長嶋大好きなマスコミが文句を言いづらくするため・・・とか。神様には文句は言えないだろうと。(「ジーコジャパン」にもそういう匂いを感じる。)
そしてマスコミもそれにまんまとつられちゃってるし。
おそらく、マスコミ各社のある程度記事に決定権のある方(=ちょっとご年配)の心には、いつまでも少年時代の輝かしいナガシマがいるようです。それで「やっぱりナガシマだ」と。長嶋世代にとっては、困ったときのナガシマ、困らなくてもナガシマ、になってしまうようです。そう感じとれて仕方ありません。いつまでも長嶋長嶋でいいのか?。大変不謹慎なのですが、長嶋サンが本当にいなくなった後のことを考えるいい機会でもあると思いうのですが。

ホントに長嶋ファンの方にはゴメンなさいね。
俺は、長嶋の現役時代を知らないし、第一期巨人監督時代も知らない。だから、93年に巨人監督に復帰したとき、なぜそんなに長嶋長嶋騒ぐのかよく分からなかったし。
やっぱり主役は今プレーをしている現役選手であってほしいと思います。